1 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/02/18(水) 01:51 ID:TB6HvvcD [1/2]
戦争中だって、笑える話は沢山あったはず。
そしてその中には、戦時中ならではの体験もあったことでしょう。
難しいことはとりあえず抜きにして、祖父・祖母・両親・知り合いの年寄りなどから聞いた
笑える話を聞かせて下さい。
424 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/29(木) 19:08 ID:t6rom1At [2/4]
カメラクラブの知り合いの元海軍兵学校出身の海軍士官だったじいさんの話
戦争中、老朽戦艦扶桑は速力が遅いのと防御力不足とで、内地で訓練任務についていた
乗組みの士官は、肺病上がりだったり能力に問題ありだったりの
余り役に立ちそうも無い人ばかり当てられていた。海軍兵学校時代、じいさんたちは
「あんな所に配属されるようになったらおしまいやな」と笑っていたが
そのじいさんが卒業後真っ先に配属されたのがその扶桑だった
その後、戦艦扶桑は出撃が決まり、スリガオ海峡夜戦で魚雷二本を受け
火薬庫爆発で轟沈 生存者ゼロという悲劇にあったが
その出撃前に乗組員の入れ替えがあり、じいさんは外され、
やはりダメ士官優先勤務だった海防艦にまわされた
在学中に何かやらかしたのか、それとも成績が余程悪かったのか・・・


425 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/29(木) 19:57 ID:W6501vpz [1/3]
>>424
そのポンコツ戦艦と海防艦の位置関係は?
やっぱ三菱扶桑>海防艦なのか?
426 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/29(木) 21:09 ID:t6rom1At [3/4]
戦艦扶桑 39000トン
http://www.biwa.ne.jp/~yamato/fusogata.htm
第一号型海防艦 745トン
http://www.down.ne.jp/ish/ijn/axhist/hei.html
海防艦は輸送船とかの護衛をする脇役の小型艦
400 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/28(水) 12:38 ID:pTMUn7V7 [1/4]
熊本県鹿本郡田原坂近くの横平山 西南戦争が始まった明治10年3月
官軍は横平山に布陣したが、敵との距離は僅か20メートル
たちまち鉄砲の撃ち合いやじっと耐える日々が続いた
すると味方の後方兵站部から大福餅が届けられた 味方の士気は大いに上がる
敵にも大福を見せびらかすと、向こうもヨダレを垂らさんばかり
少し分けてやろうと山田という兵隊が二、三十を抱えて敵陣へ行った
えらい歓待ぶりで、酒も出して飲ませてくれた
それから敵味方が妙に親しげな気分になってしまった
そのうち山麓の陣地では猛烈な斬り合いが始まった
ところがこちらは敵味方が仲良く見物しておったと
死に物狂いの殺し合いの間にも、いくさも何も忘れてしまう瞬間があった
出典「日本の民話」12巻
402 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/28(水) 13:33 ID:IaFwxmYO
>>400
紀元前ローマの内乱でもそんなのあったらしい。
お互いの陣地から親戚や友人の名を呼び合って、中間地点で再会。
夜は招待しあって、酒を飲んで盛り上がり、敵の陣地に泊まる者も。
そのうちお互いの装備、作戦も教えあうようになり、
「うちの司令官の方がイイ人だよ。お前もこっち来い」なんてことになり、
大勢の兵士が片方に移ったらしい。
403 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/28(水) 13:42 ID:N8P+i7Q+
>>400
>>402
いいなあー。やっぱりそれが人間の通常の性だよね
うまいもんは世の中を平和にする!w
412 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/28(水) 20:28 ID:+vOE+Z/5
>>400>>402
イタリア人なら現代でもやりそうだなw
358 名前: おさかなくわえた名無しさん[age] 投稿日:04/07/22(木) 11:55 ID:7nMNRS2V
たしかどっかの地方ラジオ局だと記憶するが
日米開戦記念に、威勢のいい音楽をラジオで流せと言われて
あろうことか「星 条 旗 よ 永 遠 な れ」を流して始末書書いたアホがいた
361 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/22(木) 23:10 ID:yQPi802R
>>358
広島原爆慰霊コンサートかなんかで同じ事したバンドがいた
362 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/22(木) 23:32 ID:YaVgS02l
>>358
今のNHK鹿児島局がやらかしたホームラン級の大ポカですな。有名な話。
うちの爺様は性格は大人しかったが酒豪。
南方で付いた部隊長は酒好きだったが、あいにく直属の士官連に酒飲みがいなかった。
飲める上等兵の祖父に白羽が立ち、隊長の従兵に抜擢。
温情家の隊長の下で仕事は軽く、夜になると好きな酒のお相手。肴付きで飲み放題。
サンゴ礁の島には米軍も来なくて「楽しかったぞ」、ってそんなんでええんか。
島には大した食い物もなかったが、マンゴーは死ぬほど成っていた。
調子に乗ってマンゴーぱくぱく食っていたせいで下痢が止まらなくなり、野戦病院送り。
検査した軍医に「おまい肺やられとるぞ」と唐突に言われる。
「病院船の氷川丸がこっちの泊地に回ってくる。それに乗って内地へ帰れ。
病状はうんと悪いことにしておいてやる」と、話のわかる(?)軍医もいたもので。
祖父の帰国直後に米軍の攻撃が激しくなり、平和だった島でも多くの戦死者が出たそうな。
内地の陸軍病院で療養してから招集を解かれたのもつかの間、
昭和20年8月に再招集を受けた。
覚悟を決めて兵営の前へ行ったが、同時に招集を受けたはずの連中が一人も見えない。
日暮れまで突っ立っていたら「お昼で戦争が終わりましたよ」と通行人に教えられた。
すごすご帰宅して数日後、「用事があるから」と親戚に連れられて隣村の家に行ったら
行き遅れた三十女が白無垢着て待っていて、いつの間にか婿にやられていたという。
戦中といい戦後といい呑気もいいところだが、この祖父は未だに元気でいる。
363 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/23(金) 16:50 ID:n4OWxfVO
オモロカタ。
ほのぼのとしたじいさんぽいなw
364 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/23(金) 17:20 ID:oIMD8hyU
>362を読んで、柳に枝折れなし、という諺が浮かんだ
365 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/23(金) 19:47 ID:mDVuxJhm
>「お昼で戦争が終わりましたよ」
ワロタ
366 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/23(金) 23:41 ID:GRt+4Ywu
終戦直後って、皆がラジオの前で泣いてるイメージあるけど、
こういう人も居たんだなあとおもうと安心する。
374 名前: おさかなくわえた名無しさん[age] 投稿日:04/07/25(日) 00:53 ID:tN/81VaF
うちの先祖話
明治37年日露戦争勃発当時、うちに赤紙が届いた
ところが届いたあて先は、なんと「佐藤千代」 つまり曾祖母
「女まで召集するたァ、こりゃ余程苦戦なんだろうか」と近所中の評判になった
どういうことかと役場に出向いて調べてみると、戸籍取り扱いの混乱で兄と妹が入れ替わっていたと
本来は兄の「佐藤秀」に届くはずだった物 字を見ても、男か女か判断がつきにくかったらしい
ましてや寒村の小役場 親父が間違えたんだか役人が間違えたんだか・・・
その後改めて「佐藤秀」に赤紙が届き出征し
奉天大会戦でロシア兵にサーベルで斬られて重傷を負うも何とか生還
勲章も貰ったとか
377 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/25(日) 10:51 ID:NEjRM4ts [2/2]
今度は母方のばあちゃんの話
戦時中かどうか知らないけど満州にいた頃は地面に水を撒いとけば次の日には凍ってて
そこでスケートをやってたらしい(ばぁちゃんは結構良い家のお嬢様だったらしいw)
そんなばぁちゃんと昨日中華料理屋でご飯を喰ってきましたが、
四川風なんちゃらスープ(名前忘れたけど辛いヤツ)を食べながら
「満州人はこがんとばよぉ喰いよらしたたい。」
らしいです。ちなみに熊本弁で「満州人はよくこんな感じのを食べてた」って感じです
379 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/25(日) 11:05 ID:WoFDPz8/
うちの祖父も満州に行ってて、石造りの洋風アパートメントに住み、
そこではゴミは各階のダストシュートに捨てるようになってたり…
満州生まれの父は日本に引き揚げてきた時に、住環境の違いに
びっくりしたらしい。
389 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/26(月) 11:49 ID:aALvQci5
漏れの祖父さんは自動車の整備工場を営んでて、
戦後まもなく進駐軍が「ガソリンいるならやるぞ」って
突然言ってきたらしい。
年頃の娘をたくさん持つ身であった祖父さんは、
「うかつにもらえばヤバイかもしれん」と思って断ったそうな。
その後しばらくしてアメリカ軍は戦車の修理を頼みに来るようになり、ある時
「余ってたからガソリンあげようと思ったのに、あなたは無欲デスネー」
と言い、それを聞いた祖父さんは内心しまったと思ったとか。
別に笑える話じゃないね、スマソ。
408 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/28(水) 20:03 ID:pTMUn7V7 [2/4]
シベリヤ出兵当時 松山歩兵第二十二連隊 大正6年ごろの話
「シベリヤの零下40℃の寒気はジクジク骨を刺す寒さなので、ちょっと便所に行くにも
毛皮の胴着 防寒手套 防寒靴をつけないと、たちまち凍傷にかかる
便所では大便小便も皆凍っている
凍った大小便が尖って槍のようになってることが多く、それを知らずにいきなりしゃがみこみ
尻や玉に怪我した者も少なくなかった 皆シベリヤは大嫌いであった」
村上順市曹長手記「御国の為に」より
409 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/28(水) 20:12 ID:1Xe20RHs
「皆シベリヤは大嫌いであった」
物書きでない普通の人の正直な感想なんだろうが、
まとめのフレーズとしては強引で、そこがなんか笑える。
行きたくもない北の果てに派遣された人たちはたまったもんじゃなかったろうけどさ。
430 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/29(木) 22:09 ID:pzGjHQei
家の爺さんの話。
小学生の時、学校で「床屋貯金」なるものがあって、
先生達が髪の毛を切って、浮いた床屋代で
慰問袋を作ったり、現金を送金していたそうだ。
しかしバリカンの使い方が下手な先生が多く、
相当痛い思いをしたという。
「あれで俺は髪が薄くなって、ハゲになってしまった…」
と嘆いている爺さん(68歳)だが、うちは代々ハゲ家系なので
それは全然関係ないと思う。
456 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/30(金) 21:05 ID:tMl32qBX
うちのじぃさんの話。
妻と息子を田舎に残し出征。
すぐに終戦を迎えたが、田舎は焼け野原と知る。
「妻と息子は死んじゃったんだろう」と
新たに妻を娶る。
3年程して新妻を連れて田舎に帰る。
「おっ!我が家が焼けずに残ってる。」
家に入ると旧妻とちょっと大きくなった息子、
ちっちゃい子供を抱いた知らない男が団欒中。
どうやら旧妻も「どうせ旦那は死んでるだろう」と
結婚したらしい。
とりあえずその場にいた皆で自己紹介し、
おのおの新家族で暮らしていくことに決定。
間もなく新妻に子供ができた。これがオレの父ちゃん。
旧妻側は付き合いないからわかんないや。
457 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/30(金) 21:10 ID:IEy6dcS/
>456
上手くまとまって良かったな(w
片方だけ新しい相手見つけてたら面倒なことに。
実際そういうこと(片方だけ)も多かったんだろうけど。
460 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/30(金) 23:39 ID:GJzGbXYg [2/2]
揉めなくて良かったな。
うちの祖母の周りにも、奥さんが新しい旦那とひっついて
帰ってきた前の旦那と揉めたという話があったらしい。
461 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 00:42 ID:WZWBpe3+
母方のばぁさんの話。
当時、女学生、
戦争も激しくなり、一家で山へ避難。
適当な洞窟&小川見つける。
「防空壕と飲み水確保!」
ばぁさんのサバイバル生活スタート。
ヘビ出現(猛毒あり)
「あたま踏んじゃえ!!」
鳥発見(天然記念物)
「食っちゃえ!!」
麓に畑(もち他人の)
「盗んでも怒んないよね?」
ばぁさん曰く
「戦争はいけない事だ。しかし、
あの緊張感のある生活をもう一度
味わいたいなぁ~」
うちのばぁさんは恐ろしく元気です。
472 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 15:21 ID:8LhpKT9K
>461
ばあちゃんスゲー。ワロタヨ。
そんな体験してる人には逆らえないなあ。大事にしてあげてください。
467 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 10:24 ID:sq0IibXG
学校の先生が話してくれた。
先生の母上が女学生で、工場に勤労奉仕(でいいの?)していた時のこと。
空襲警報が鳴り響いてみんな防空壕に逃げ込んだけど、
その母上とその仲間10人ほどが逃げ遅れた。
「逃げ惑って死ぬのも嫌だし、屋上へ行って、戦闘を見よう」
「もしこっちに来たら、竹槍で応戦しよう」
ということになり、建物の屋上に登った。
屋上に登ると、日本軍の飛行機とアメリカ軍の飛行機が。
日本軍の飛行機はバタバタ撃墜されている。
『日本軍は連日快勝』のニュースしか聞かされていなかった母上達は呆気にとられて
戦闘を見ていた。
その日の報道ももちろん、『日本軍、今日も快勝!』
「日本は負けるんだなあ」とシミジミ思ったそうです。
笑える話でなくてゴメソ。
468 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 10:27 ID:pCab1ru/
>>467
そういう人達もいたのかもしれないけど、本土に足の短い敵戦闘機が来ている時点で、
すでに日本は制海権も制空権もなくなっていることに気付かないものか?
469 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 10:32 ID:Q84cZN03
>>468
情報操作されてんだから無理っしょ
うちらだってネットが広まる前は新聞やテレビ
割と鵜のみだったこと考えれば
470 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 11:07 ID:zcJGeH4j
>>467
それに近い話で、当時祖父は東北の基地(どこかは忘れた)の近くに住んでいた。
ノモンハンで日本軍が大敗したのを国民が知るのは戦後だったが、
帰ってくる兵士たちの表情をみて基地の近くに住んでいるものは
うすうす負けたというのを感じ取っていた。
484 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/08/01(日) 19:47 ID:Py8pjfvn
うちのじいちゃんは体が弱く手先が器用だったので軍需工場にいた。
普段は仲間内でも一番とろくさかったらしいのだが、
防空壕に逃げ込むスピードだけは別人のように速かったらしい。
「学年で1番の奴の徒競走より速かった」と工場でも一緒だった
じいちゃんの友人が言ってた。
その火事場の馬鹿力(?)のお陰で今俺がいるんだけどな。
491 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/08/04(水) 21:54 ID:3WaMNPQ6
うちのじいさんの話
大陸で衛生兵をやってた。倉庫の医薬品を管理する仕事だったらしい。
大量の在庫を抱えたまま終戦。日本に持って帰ることはできないので、
薬を欲しがってた中国人に分け与えた。
おかげで町を歩けば「大人(たいれん)」と呼ばれちやほやされたらしい。
だが、日本に戻ると母親の手によって戦中に稼いだ給料は全て貯金されていた。
銀行は終戦後に潰れたため、一転して貧乏暮らしになったそうな。
他にも国民党からうちの衛生兵にならないかと誘われたという話を聞いたが、
どこまで本当なのやら。
関係ないけど、親父の戸籍には「中華民国江蘇省生まれ」と記載されてて、
なんだか歴史を感じたな。
480 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/08/01(日) 08:45 ID:iI7EpJ9i
技術者だった俺の祖父ちゃん。ある日、海軍が拿捕した米軍の飛行機が工場に運ばれてきた。
同僚と解体して、中を調べると、楽しくって仕事が止まらなくなってしまった。
丸二日その米軍機に集中していると、気づいた時にはどうやら空襲に遭っていたらしく、
自分たちの工場の棟以外、殆ど更地になっていたらしい。
また、ある日、空襲警報が鳴り響き、防空壕へ入ると、やることもないので
同僚が麻雀でもしようと祖父ちゃんを誘った。
ろうそく一本の明かりでゲームを開始する。しばらくすると上官が防空壕へ怒鳴り込んできて、
祖父ちゃんはじめ、同僚はぼこぼこに殴られた。
どうやら警報解除に気づかず、徹マンしてしまったからだそうです。
483 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/08/01(日) 19:25 ID:AMv6QNHb
>>480
じいちゃん・・・w
481 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/08/01(日) 09:11 ID:8XerLgCV
>>480
すげー集中力…てか豪気な祖父ちゃんやねw
徹マンに没頭するのは今も昔も同じなんだなー。
あなたが聞いた戦時中の笑える話 第2話
http://life3.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1083152164/

1/700 特シリーズ No.67日本海軍戦艦 扶桑 昭和19年

日本の民話〈12〉九州2・沖縄
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戦争中だって、笑える話は沢山あったはず。
そしてその中には、戦時中ならではの体験もあったことでしょう。
難しいことはとりあえず抜きにして、祖父・祖母・両親・知り合いの年寄りなどから聞いた
笑える話を聞かせて下さい。
戦時中の笑える話
戦時中の笑える話 その2
戦時中の笑える話 上官を怖がらせた爺さん
戦時中の笑える話 「死ぬときはラムネを飲みながら死にたい」 他
戦時中の笑える話 スパイ判別法あれこれ 他
戦時中の笑える話 空母「飛龍」に乗っていた祖父 他
戦時中の笑える話 フィリピンでバナナ食べ放題!だったけど…… 他
戦時中の笑える話 「横読み」を駆使して検閲を突破し、届いた手紙 他
424 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/29(木) 19:08 ID:t6rom1At [2/4]
カメラクラブの知り合いの元海軍兵学校出身の海軍士官だったじいさんの話
戦争中、老朽戦艦扶桑は速力が遅いのと防御力不足とで、内地で訓練任務についていた
乗組みの士官は、肺病上がりだったり能力に問題ありだったりの
余り役に立ちそうも無い人ばかり当てられていた。海軍兵学校時代、じいさんたちは
「あんな所に配属されるようになったらおしまいやな」と笑っていたが
そのじいさんが卒業後真っ先に配属されたのがその扶桑だった
その後、戦艦扶桑は出撃が決まり、スリガオ海峡夜戦で魚雷二本を受け
火薬庫爆発で轟沈 生存者ゼロという悲劇にあったが
その出撃前に乗組員の入れ替えがあり、じいさんは外され、
やはりダメ士官優先勤務だった海防艦にまわされた
在学中に何かやらかしたのか、それとも成績が余程悪かったのか・・・


425 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/29(木) 19:57 ID:W6501vpz [1/3]
>>424
そのポンコツ戦艦と海防艦の位置関係は?
やっぱ三菱扶桑>海防艦なのか?
426 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/29(木) 21:09 ID:t6rom1At [3/4]
戦艦扶桑 39000トン
http://www.biwa.ne.jp/~yamato/fusogata.htm
第一号型海防艦 745トン
http://www.down.ne.jp/ish/ijn/axhist/hei.html
海防艦は輸送船とかの護衛をする脇役の小型艦
400 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/28(水) 12:38 ID:pTMUn7V7 [1/4]
熊本県鹿本郡田原坂近くの横平山 西南戦争が始まった明治10年3月
官軍は横平山に布陣したが、敵との距離は僅か20メートル
たちまち鉄砲の撃ち合いやじっと耐える日々が続いた
すると味方の後方兵站部から大福餅が届けられた 味方の士気は大いに上がる
敵にも大福を見せびらかすと、向こうもヨダレを垂らさんばかり
少し分けてやろうと山田という兵隊が二、三十を抱えて敵陣へ行った
えらい歓待ぶりで、酒も出して飲ませてくれた
それから敵味方が妙に親しげな気分になってしまった
そのうち山麓の陣地では猛烈な斬り合いが始まった
ところがこちらは敵味方が仲良く見物しておったと
死に物狂いの殺し合いの間にも、いくさも何も忘れてしまう瞬間があった
出典「日本の民話」12巻
402 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/28(水) 13:33 ID:IaFwxmYO
>>400
紀元前ローマの内乱でもそんなのあったらしい。
お互いの陣地から親戚や友人の名を呼び合って、中間地点で再会。
夜は招待しあって、酒を飲んで盛り上がり、敵の陣地に泊まる者も。
そのうちお互いの装備、作戦も教えあうようになり、
「うちの司令官の方がイイ人だよ。お前もこっち来い」なんてことになり、
大勢の兵士が片方に移ったらしい。
403 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/28(水) 13:42 ID:N8P+i7Q+
>>400
>>402
いいなあー。やっぱりそれが人間の通常の性だよね
うまいもんは世の中を平和にする!w
412 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/28(水) 20:28 ID:+vOE+Z/5
>>400>>402
イタリア人なら現代でもやりそうだなw
358 名前: おさかなくわえた名無しさん[age] 投稿日:04/07/22(木) 11:55 ID:7nMNRS2V
たしかどっかの地方ラジオ局だと記憶するが
日米開戦記念に、威勢のいい音楽をラジオで流せと言われて
あろうことか「星 条 旗 よ 永 遠 な れ」を流して始末書書いたアホがいた
361 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/22(木) 23:10 ID:yQPi802R
>>358
広島原爆慰霊コンサートかなんかで同じ事したバンドがいた
362 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/22(木) 23:32 ID:YaVgS02l
>>358
今のNHK鹿児島局がやらかしたホームラン級の大ポカですな。有名な話。
うちの爺様は性格は大人しかったが酒豪。
南方で付いた部隊長は酒好きだったが、あいにく直属の士官連に酒飲みがいなかった。
飲める上等兵の祖父に白羽が立ち、隊長の従兵に抜擢。
温情家の隊長の下で仕事は軽く、夜になると好きな酒のお相手。肴付きで飲み放題。
サンゴ礁の島には米軍も来なくて「楽しかったぞ」、ってそんなんでええんか。
島には大した食い物もなかったが、マンゴーは死ぬほど成っていた。
調子に乗ってマンゴーぱくぱく食っていたせいで下痢が止まらなくなり、野戦病院送り。
検査した軍医に「おまい肺やられとるぞ」と唐突に言われる。
「病院船の氷川丸がこっちの泊地に回ってくる。それに乗って内地へ帰れ。
病状はうんと悪いことにしておいてやる」と、話のわかる(?)軍医もいたもので。
祖父の帰国直後に米軍の攻撃が激しくなり、平和だった島でも多くの戦死者が出たそうな。
内地の陸軍病院で療養してから招集を解かれたのもつかの間、
昭和20年8月に再招集を受けた。
覚悟を決めて兵営の前へ行ったが、同時に招集を受けたはずの連中が一人も見えない。
日暮れまで突っ立っていたら「お昼で戦争が終わりましたよ」と通行人に教えられた。
すごすご帰宅して数日後、「用事があるから」と親戚に連れられて隣村の家に行ったら
行き遅れた三十女が白無垢着て待っていて、いつの間にか婿にやられていたという。
戦中といい戦後といい呑気もいいところだが、この祖父は未だに元気でいる。
363 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/23(金) 16:50 ID:n4OWxfVO
オモロカタ。
ほのぼのとしたじいさんぽいなw
364 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/23(金) 17:20 ID:oIMD8hyU
>362を読んで、柳に枝折れなし、という諺が浮かんだ
365 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/23(金) 19:47 ID:mDVuxJhm
>「お昼で戦争が終わりましたよ」
ワロタ
366 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/23(金) 23:41 ID:GRt+4Ywu
終戦直後って、皆がラジオの前で泣いてるイメージあるけど、
こういう人も居たんだなあとおもうと安心する。
374 名前: おさかなくわえた名無しさん[age] 投稿日:04/07/25(日) 00:53 ID:tN/81VaF
うちの先祖話
明治37年日露戦争勃発当時、うちに赤紙が届いた
ところが届いたあて先は、なんと「佐藤千代」 つまり曾祖母
「女まで召集するたァ、こりゃ余程苦戦なんだろうか」と近所中の評判になった
どういうことかと役場に出向いて調べてみると、戸籍取り扱いの混乱で兄と妹が入れ替わっていたと
本来は兄の「佐藤秀」に届くはずだった物 字を見ても、男か女か判断がつきにくかったらしい
ましてや寒村の小役場 親父が間違えたんだか役人が間違えたんだか・・・
その後改めて「佐藤秀」に赤紙が届き出征し
奉天大会戦でロシア兵にサーベルで斬られて重傷を負うも何とか生還
勲章も貰ったとか
377 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/25(日) 10:51 ID:NEjRM4ts [2/2]
今度は母方のばあちゃんの話
戦時中かどうか知らないけど満州にいた頃は地面に水を撒いとけば次の日には凍ってて
そこでスケートをやってたらしい(ばぁちゃんは結構良い家のお嬢様だったらしいw)
そんなばぁちゃんと昨日中華料理屋でご飯を喰ってきましたが、
四川風なんちゃらスープ(名前忘れたけど辛いヤツ)を食べながら
「満州人はこがんとばよぉ喰いよらしたたい。」
らしいです。ちなみに熊本弁で「満州人はよくこんな感じのを食べてた」って感じです
379 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/25(日) 11:05 ID:WoFDPz8/
うちの祖父も満州に行ってて、石造りの洋風アパートメントに住み、
そこではゴミは各階のダストシュートに捨てるようになってたり…
満州生まれの父は日本に引き揚げてきた時に、住環境の違いに
びっくりしたらしい。
389 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/26(月) 11:49 ID:aALvQci5
漏れの祖父さんは自動車の整備工場を営んでて、
戦後まもなく進駐軍が「ガソリンいるならやるぞ」って
突然言ってきたらしい。
年頃の娘をたくさん持つ身であった祖父さんは、
「うかつにもらえばヤバイかもしれん」と思って断ったそうな。
その後しばらくしてアメリカ軍は戦車の修理を頼みに来るようになり、ある時
「余ってたからガソリンあげようと思ったのに、あなたは無欲デスネー」
と言い、それを聞いた祖父さんは内心しまったと思ったとか。
別に笑える話じゃないね、スマソ。
408 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/28(水) 20:03 ID:pTMUn7V7 [2/4]
シベリヤ出兵当時 松山歩兵第二十二連隊 大正6年ごろの話
「シベリヤの零下40℃の寒気はジクジク骨を刺す寒さなので、ちょっと便所に行くにも
毛皮の胴着 防寒手套 防寒靴をつけないと、たちまち凍傷にかかる
便所では大便小便も皆凍っている
凍った大小便が尖って槍のようになってることが多く、それを知らずにいきなりしゃがみこみ
尻や玉に怪我した者も少なくなかった 皆シベリヤは大嫌いであった」
村上順市曹長手記「御国の為に」より
409 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/28(水) 20:12 ID:1Xe20RHs
「皆シベリヤは大嫌いであった」
物書きでない普通の人の正直な感想なんだろうが、
まとめのフレーズとしては強引で、そこがなんか笑える。
行きたくもない北の果てに派遣された人たちはたまったもんじゃなかったろうけどさ。
430 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/29(木) 22:09 ID:pzGjHQei
家の爺さんの話。
小学生の時、学校で「床屋貯金」なるものがあって、
先生達が髪の毛を切って、浮いた床屋代で
慰問袋を作ったり、現金を送金していたそうだ。
しかしバリカンの使い方が下手な先生が多く、
相当痛い思いをしたという。
「あれで俺は髪が薄くなって、ハゲになってしまった…」
と嘆いている爺さん(68歳)だが、うちは代々ハゲ家系なので
それは全然関係ないと思う。
456 名前: おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/07/30(金) 21:05 ID:tMl32qBX
うちのじぃさんの話。
妻と息子を田舎に残し出征。
すぐに終戦を迎えたが、田舎は焼け野原と知る。
「妻と息子は死んじゃったんだろう」と
新たに妻を娶る。
3年程して新妻を連れて田舎に帰る。
「おっ!我が家が焼けずに残ってる。」
家に入ると旧妻とちょっと大きくなった息子、
ちっちゃい子供を抱いた知らない男が団欒中。
どうやら旧妻も「どうせ旦那は死んでるだろう」と
結婚したらしい。
とりあえずその場にいた皆で自己紹介し、
おのおの新家族で暮らしていくことに決定。
間もなく新妻に子供ができた。これがオレの父ちゃん。
旧妻側は付き合いないからわかんないや。
457 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/30(金) 21:10 ID:IEy6dcS/
>456
上手くまとまって良かったな(w
片方だけ新しい相手見つけてたら面倒なことに。
実際そういうこと(片方だけ)も多かったんだろうけど。
460 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/30(金) 23:39 ID:GJzGbXYg [2/2]
揉めなくて良かったな。
うちの祖母の周りにも、奥さんが新しい旦那とひっついて
帰ってきた前の旦那と揉めたという話があったらしい。
461 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 00:42 ID:WZWBpe3+
母方のばぁさんの話。
当時、女学生、
戦争も激しくなり、一家で山へ避難。
適当な洞窟&小川見つける。
「防空壕と飲み水確保!」
ばぁさんのサバイバル生活スタート。
ヘビ出現(猛毒あり)
「あたま踏んじゃえ!!」
鳥発見(天然記念物)
「食っちゃえ!!」
麓に畑(もち他人の)
「盗んでも怒んないよね?」
ばぁさん曰く
「戦争はいけない事だ。しかし、
あの緊張感のある生活をもう一度
味わいたいなぁ~」
うちのばぁさんは恐ろしく元気です。
472 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 15:21 ID:8LhpKT9K
>461
ばあちゃんスゲー。ワロタヨ。
そんな体験してる人には逆らえないなあ。大事にしてあげてください。
467 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 10:24 ID:sq0IibXG
学校の先生が話してくれた。
先生の母上が女学生で、工場に勤労奉仕(でいいの?)していた時のこと。
空襲警報が鳴り響いてみんな防空壕に逃げ込んだけど、
その母上とその仲間10人ほどが逃げ遅れた。
「逃げ惑って死ぬのも嫌だし、屋上へ行って、戦闘を見よう」
「もしこっちに来たら、竹槍で応戦しよう」
ということになり、建物の屋上に登った。
屋上に登ると、日本軍の飛行機とアメリカ軍の飛行機が。
日本軍の飛行機はバタバタ撃墜されている。
『日本軍は連日快勝』のニュースしか聞かされていなかった母上達は呆気にとられて
戦闘を見ていた。
その日の報道ももちろん、『日本軍、今日も快勝!』
「日本は負けるんだなあ」とシミジミ思ったそうです。
笑える話でなくてゴメソ。
468 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 10:27 ID:pCab1ru/
>>467
そういう人達もいたのかもしれないけど、本土に足の短い敵戦闘機が来ている時点で、
すでに日本は制海権も制空権もなくなっていることに気付かないものか?
469 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 10:32 ID:Q84cZN03
>>468
情報操作されてんだから無理っしょ
うちらだってネットが広まる前は新聞やテレビ
割と鵜のみだったこと考えれば
470 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/31(土) 11:07 ID:zcJGeH4j
>>467
それに近い話で、当時祖父は東北の基地(どこかは忘れた)の近くに住んでいた。
ノモンハンで日本軍が大敗したのを国民が知るのは戦後だったが、
帰ってくる兵士たちの表情をみて基地の近くに住んでいるものは
うすうす負けたというのを感じ取っていた。
484 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/08/01(日) 19:47 ID:Py8pjfvn
うちのじいちゃんは体が弱く手先が器用だったので軍需工場にいた。
普段は仲間内でも一番とろくさかったらしいのだが、
防空壕に逃げ込むスピードだけは別人のように速かったらしい。
「学年で1番の奴の徒競走より速かった」と工場でも一緒だった
じいちゃんの友人が言ってた。
その火事場の馬鹿力(?)のお陰で今俺がいるんだけどな。
491 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/08/04(水) 21:54 ID:3WaMNPQ6
うちのじいさんの話
大陸で衛生兵をやってた。倉庫の医薬品を管理する仕事だったらしい。
大量の在庫を抱えたまま終戦。日本に持って帰ることはできないので、
薬を欲しがってた中国人に分け与えた。
おかげで町を歩けば「大人(たいれん)」と呼ばれちやほやされたらしい。
だが、日本に戻ると母親の手によって戦中に稼いだ給料は全て貯金されていた。
銀行は終戦後に潰れたため、一転して貧乏暮らしになったそうな。
他にも国民党からうちの衛生兵にならないかと誘われたという話を聞いたが、
どこまで本当なのやら。
関係ないけど、親父の戸籍には「中華民国江蘇省生まれ」と記載されてて、
なんだか歴史を感じたな。
480 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/08/01(日) 08:45 ID:iI7EpJ9i
技術者だった俺の祖父ちゃん。ある日、海軍が拿捕した米軍の飛行機が工場に運ばれてきた。
同僚と解体して、中を調べると、楽しくって仕事が止まらなくなってしまった。
丸二日その米軍機に集中していると、気づいた時にはどうやら空襲に遭っていたらしく、
自分たちの工場の棟以外、殆ど更地になっていたらしい。
また、ある日、空襲警報が鳴り響き、防空壕へ入ると、やることもないので
同僚が麻雀でもしようと祖父ちゃんを誘った。
ろうそく一本の明かりでゲームを開始する。しばらくすると上官が防空壕へ怒鳴り込んできて、
祖父ちゃんはじめ、同僚はぼこぼこに殴られた。
どうやら警報解除に気づかず、徹マンしてしまったからだそうです。
483 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/08/01(日) 19:25 ID:AMv6QNHb
>>480
じいちゃん・・・w
481 名前: おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/08/01(日) 09:11 ID:8XerLgCV
>>480
すげー集中力…てか豪気な祖父ちゃんやねw
徹マンに没頭するのは今も昔も同じなんだなー。
あなたが聞いた戦時中の笑える話 第2話
http://life3.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1083152164/

1/700 特シリーズ No.67日本海軍戦艦 扶桑 昭和19年

日本の民話〈12〉九州2・沖縄
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