1 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/02/18(水) 01:51 ID:TB6HvvcD [1/2]
戦争中だって、笑える話は沢山あったはず。
そしてその中には、戦時中ならではの体験もあったことでしょう。
難しいことはとりあえず抜きにして、祖父・祖母・両親・知り合いの年寄りなどから聞いた
笑える話を聞かせて下さい。
848 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/13(火) 20:48 ID:lhW3blht
うちのじーさん、満州までかりだされたんだが
軍艦(?)で満州に向かっているとき、所属していた隊の中で
「もしもこの船が攻撃に遭って沈んだらどうするか」
という話になり、
「海に投げ出されると、フカ(=鮫)に食われるかもしれない」
と誰かが言い出したらしい。
すると隊長が、
「フカは自分より大きいものを見たら襲わない、
だから海に投げ出されたときは、ふんどしを長く伸ばして
フカよりも長くなれ!」
と言ったそうだ。
そしてその船は本当に攻撃され、
うちのじーさんはふんどしをほどき、海を漂っているところを
味方の別の軍艦に助けられた。
じーさんは今でも
「海で泳ぐときは長いものを持っておけ」と言う。
もうふんどしの時代じゃないしなぁ……
854 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/04/15(木) 03:56 ID:jky1QjlP
>>848
うちの死んだじいちゃんも同じことを言っていた!<フンドシ
じいちゃんは空母「飛龍」というのにのっていたらしいのだが、
その船がアボーンしたときに恐らくフンドシが活躍したんだと思う。
じいちゃんも海を漂っていたところを味方の船に拾われたらしいが、
ばあちゃんはじいちゃんの部下が「船沈没(だけどじいちゃんは無事)」という知らせを持ってきたとき、
じいちゃんが死んじゃったと勘違いして泣き崩れたらしい。
でも、じいちゃんの晩年には味噌汁の具でケンカをする夫婦だった…
855 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/15(木) 04:20 ID:DiDKVXx6
>>854
おお、ミッドウェーで沈んだ飛竜ですか。よくご無事で。
868 名前:854[] 投稿日:04/04/16(金) 02:51 ID:KKfXkT+x
>>857
ググって見たら、砲撃を受けて被弾⇒火災となったので味方の船の砲撃で葬られたという記述がありました。
なんか、ただ被弾を受けて沈没っていう表記もあったから、ここら辺曖昧なのかな?
だから、じいちゃんはどっかの時点で海に飛び込んだのかと。
ちなみに、死ぬまでじいちゃんフンドシを愛用していたよ。
ていうか、よく生きて帰ってきたなぁ…
869 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/16(金) 10:27 ID:7u3tGeVA
>>854
飛龍は米軍機の攻撃を受けて炎上
↓
総員退艦、放棄決定
↓
味方駆逐艦が魚雷発射(1本命中も沈まず)
↓
そのまま漂流
(実際は連絡が取れなくなっただけで、機関部は無事だった)
↓
結局浸水で沈没
お祖父様は総員退艦の時点で船を離れて助かったんでしょうね。
機関室に取り残されて漂流した船員は、米軍の捕虜になりました。

698 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 21:15 ID:wGlngrBc
競馬雑誌に載っていたんだが、有名な血統評論家(故人)は
中国(満州か?)に駐留していたとき、ロシア人少女にひとめぼれ。
その子と仲良くなろうとして奮起してロシア語マスターした。
しかし恋が実る前に敗戦し、なまじロシア語が出来るためにスパイと疑われて
散々な目にあったそうだが、後には通訳として重宝がられた。
というのがあった。
699 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 22:15 ID:moTlguOQ
ロシア人の少女はこの世のものとは思えないぐらい綺麗だが、
20歳すぎると水風船みたいになるからな。
700 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 22:29 ID:QLvD5HNB
>699
つきたての餅を重ねたようでもある。
709 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 16:00 ID:wtRFLysb [1/2]
うちのお婆ちゃんは諸事情あって、戦時中一人で両親を養ってました
とにかく食べ物がなくて今でも電車で30分はかかる場所に
畑を作って毎週末徒歩で通ってもの凄く美味しくないカボチャなどを作ってしのいでいたらしい
終戦を迎えてGHQがやってきて、食べ物の配給があるというので
喜んで貰ってきたのは、一斗缶ぐらいある大きな缶詰
ワクワクしながら開けてみたら中には大量のシロップ漬けのパイナップル・・・
「一度には食べきれないし、おかずにもなりゃしないし、どうしろっての!!!」
と怒ってましたが私はワラタ
712 名前:大鉈くわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 17:30 ID:55sACAP5
>>709
酢豚があったのに...
713 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 17:34 ID:xT9A2HMJ
>>712
お前頭良いな!
714 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 17:42 ID:wtRFLysb [2/2]
>>712
パイナップルばっかりの酢豚、辛いっす(w
721 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 19:53 ID:jFl1rSyv
戦時中の話じゃなくて終戦直後の話なんだけど、
血の気が多かったうちの祖父は、終戦で満州から家族と一緒に、曾祖父の家に帰ってきた。
帰ってきた直後は毎日、「アメリカ人みな殺しにしてやる!」と
日本刀をぶんぶん振り回していたが、1年後には
ご近所さんを呼んで毎週ゴーゴーパーティを開いて踊りまくっていたそうだ。
その祖父は定年になってから通信で大学を卒業し
得意になって中学生の私にカタカナ発音で英語を教えようとした。
「おじいちゃんの後に読め。アーイ ドント ノー はいっ」
もっと戦時中の話を聞いとけば良かった
722 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 21:28 ID:pXntTbr2
もの凄く柔軟性と適応能力に秀でた爺様だと思います
日本が共産化してたら「スターリン∩( ・ω・)∩ ばんじゃーい」とか言ってそう
今もご存命だったら2chにも手を出していたんじゃないかと
723 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 23:34 ID:701RH491 [2/2]
>>721
自分がジジイになったらそういう人になりたいよな。 何時までも向上心があるというか。
750 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01(木) 08:23 ID:t0vqzekx
東京が燃えるのが、遠く離れた群馬からも見えたって聞いたことがある。
ウチの祖父は東京とは知らずホースとポンプをリヤカーに乗せて
歩いて消火に行ったらしい。
ただ、ボケてて空襲なんだか関東大震災なんだか、いまいちハッキリしない・・・。
752 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01(木) 15:59 ID:O/s8wxbA
>750
「関東大震災(1923)」
「東京大空襲(1945)」
幾ら老いたとは言え、22年の差は家族のほうで解かるだろ。
760 名前:750[sage] 投稿日:04/04/02(金) 08:27 ID:gGEDMyTb
昨日、仕事が終わってから実家に電話して聞いてみたところ
関東大震災と東京大空襲の問題が解決しました。
正しい情報はひいおじいさんが関東大震災へ出動したそうです。それを祖父から聞いたため、俺が勘違いをして。。。
おじいちゃん、ボケてるなんて言ってごめん・・・。俺が間違ってた。
769 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/03(土) 23:24 ID:GTEFP02l
>750
関東大震災なら、亡くなったうちのじいちゃんも
群馬の山の上から、東京が燃えるのを見たって言ってた。
地震が来たときに大黒柱にしがみついてたら
ぐるぐる回ったって言ってたのは、流石に誇張だろうと思ってたけど
もしかしたら、ほんとに回ったのかもなあ
751 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01(木) 10:31 ID:d78GLQZ4
戦後の話になるけど。
戦争が終わって祖父が戦地(か派遣地か知らない)から帰ってくる時、
祖母は家の前でずっと待ってたわけですよ。駅の方角を見て。
んでとっくに着いてもいいはずの時間になっても帰ってこない。
不安でずっと待っていたら
家の裏の山から降りてきたそうです。理由は「ボロボロの汚い姿を人に見られたくなかった」と。
という、とてもオシャレな祖父でした。7年前に亡くなるまでずっとオシャレでした。
一昨日が命日でした。
あと、敗戦後すぐ、進駐軍がやってきたとき、民家にある酒を全部出せと言われてて、
醤油の一升瓶を酒と疑われて、説明しても言葉も通じないので祖母は湯飲みについで米兵に出した。
米兵のその時の「うえっ」という顔がおかしくて忘れられない、と大笑いで話してくれました。
祖母の話は戦中戦後の話なのにすごく面白かったです。
773 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/04/04(日) 17:26 ID:zFs7sgn/
戦時中、竹やり訓練っていうのがあったんだけど
うちの村ではその竹は各自で用意しなければいけなかったらしい。
で、俺のおばあちゃんは竹取ってくるのが面倒くさいから訓練をさぼってたらしい。
しかし、さぼりっぱなしだと近所から文句言われるので
ある日夜明け前に山に竹を取りに行ったらしい。
家族とか親戚の分の竹も背負って帰ってきたら近所の人にこう言われたらしい。
「あんた、今日、日本負けたで。」
その日1945年8月15日。
それを聞いておばあちゃんは
「こんな重たいモン背負ってられるか!!」
と、その場に投げ捨てて帰ったそうな・・・
775 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/04(日) 19:17 ID:ZQ0l12mf
戦争後になるが、満州で終戦を迎えソ連の捕虜になった爺さん。
初めのウチはまじめに働いていたが、そのうちソ連兵は2桁の計算が出来ないことが判明。
そして工事に必要な資材を水増し請求し、浮いた資材は食料品と交換。
それでも見積もり以下の資材だったらしい。
「勉強しないと露助のようなバカになるぞ」が口癖だった。
778 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/05(月) 01:20 ID:UN+Ghr4R
何かの本に書いてあったシベリア抑留日本人のロシア人の話としては、
1、時計のねじを回すことを知らないため、腕に沢山奪った時計を付けまくり、止まった物から捨てる。
2、「シベリアには太陽が一つしか昇らないが、日本は二つ昇るから暖かい」と言われ信じて「日本に行きたい」と言う。
3、大まかなロシアの地図を書いて「今自分たちはどこにいるのか」と聞くと、
「ロシアで地図を書けるのは大学教授だけ。おまえも教授か」と言われた。
なんてのがあった。
因みに、80年代のソ連ではKGBのメンバーでも腕時計を持ってるものは少なかったとか。
779 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/05(月) 07:55 ID:GYnLhFND
70年代だかに亡命してきたミグ戦闘機を西側が
「どんな最新装備を持ってるのか」と調査してみたら
未だに真空管使っててズッコケた、ってな話あったよね。
780 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/05(月) 09:23 ID:dGXmvGzl [1/2]
>>778
今まで特にロシアなんて考えたことなかったけど、その話を聞いたら、
なんかロシアが少し好きになった。。。
781 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/05(月) 10:04 ID:N4S36iUw
>>780
俺も。なんだか可愛いな、
835 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/09(金) 23:50 ID:TGAWAx0A
去年他界したうちの爺様、家具屋で修行してたから、隊の皆が訓練してるときも
上官の命令ですずり箱とか棚とか作って堂々とサボれるわ、上官には気に入られるわ、
手に職つけといてよかったと申しておりました。
海軍の航空隊整備兵曹として台湾にいたときは、バナナやら砂糖やら、たんまりあって
太ってしまったとのこと。
ドラム缶風呂沸かして皆で入ってた時、敵機の機銃掃射にびびって
裸で逃げ回ったこともあったそうな。
そんな爺様、復員して木工業をはじめたのだが、工場の機械の事あんまり詳しくなかったなあ。
軽トラもシリンダー焼きつかせたらしいし。
でも脳卒中起こしてほぼ寝たきり&軽度の脳障害になってても、テレビで戦時中の飛行機見たら
「あ、あ、あれ直した。栄エンジン…あのコードは…電気…」とか言いながら目を輝かせてたよ。
そこはさすが元整備兵だとオモタ。
837 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/10(土) 18:12 ID:Zy3my5ez
>835
ウチのじいちゃんと少し似てますね。
小さい頃から機械いじり好きだったから、「軍に行けば戦車も軍艦もいじり放題!」と志願入隊。
何故か整備兵にはなれなかったらしいけど、とりあえず戦車部隊には入れたもんだから
ヒマを見ては戦車いじりたおしてたってさ。
今でもボルトの位置とか一つ残らず覚えてるらしい。靖国に飾ってある当時の戦車、
5分もあればバラせるぞって豪語してた。(まぁこれは話半分としても…)
一体何をしに戦地に行ってたのかと小一時(ry
まぁ結局はその時手にしたスキルが役立って?終戦後は利き腕の電気工になって一財産築いたよ。
846 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/11(日) 14:04 ID:5Ar4BFVW
戦争が激しくなって、漏れのじーちゃんも出征することになった。
来る時が来たか・・・・・と周囲は覚悟を決め、
いよいよじーちゃんを送り出そうかという頃のこと。
じーちゃんが参加する連隊が敵地に赴くために乗っていくはずだった船が、
どういう事情だか忘れたが、なんと沈没してしまったのだそうだ。
そんなわけで、じーちゃんの出征は延期が決定。
家族共々拍子抜けしている内に、戦争も終了。
結局、じーちゃんは戦争に行かなかった。
まあ、戦争なんて行かない方が当人にとって幸せだったかもしれんが、
何十年たっても近所の人にこの話をされるというので、相当迷惑がってた。
878 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/04/17(土) 16:20 ID:pFbp4KJk
母が6歳くらいの頃、戦争真っ只中。防空壕に逃げ込んだが、至近距離に焼夷弾が落ちた。
直撃じゃなかったので中の人は無事。しかし防空壕のドアが吹っ飛び、
母の祖母の眼鏡と入れ歯が吹っ飛んだそうな。
非常時の怖さより、そんなこと覚えている母って・・・
899 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/18(日) 14:47 ID:+apVAAdf
スレ違いだが言語ネタで1つ。
ある海軍武官がロシアの日本大使館に派遣されていた。
そこで主催されたパーティに部下と共に出席したのだが、
途中で部下とはぐれてしまう。
やむを得ず彼は部下の名前を大声で叫んだ。
「海老原少尉!海老原少尉!」
が、どうも周りのロシア人達の様子がおかしい。
ゴホン、とわざとらしく咳をする紳士、顔を赤らめる御婦人。
それもそのはず。
エビとはロシア語で女性器を意味し、
ハラショーはご存じの通り素晴らしいという意味である。
つまり彼は「マ○コ素晴らしい!マ○コ素晴らしい!」と叫んでいたのだ。
909 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/21(水) 10:56 ID:zE42YjjH
>>899
そういやロシア人ボクサーのユーリ海老原も、
リングネームをユーリ・アルバチャコフに改名してたな。
911 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/21(水) 18:05 ID:XkYW4UWW
そういえば教授が前に「カルピス」なんて英語圏の人間は誰も飲まない。
向こうの人には「カウピス(牛のしょんべん)」って聞こえるからって言ってたよ。
912 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/21(水) 19:36 ID:xWAtDJQh
ポカリスウェットも、「汗」が入ってるみたいで評判が悪いのは有名な話
904 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/20(火) 20:59 ID:zgWdEvxO
じーさんの家に、戦争に行ってたときに、仲間と撮った写真が飾ってある。
俺のじーさんだけ、左足に包帯を巻いている。
無邪気な子供だった俺は、じーさんに
「うわっこの包帯どうしたの? 敵にやられたの?」
と聞くと、じーさんは
「いや、これは水虫。あっちはいい薬がなくてのー」
と答えた。
こんなじーさんだが、近所の小学校から先生がやってきて
戦争の話をしてくださいと言われて出かけたことがある。
大蛇を食った話とか、自分のミスで所属してる小隊が道に迷い
そのおかげで助かったことなど、話し方一つでシリアスになのに、
おもしろおかしく話したばかりに
子供達を爆笑の渦に巻き込んでしまったらしい。
先生方は、真面目に戦争は(・A・)イクナイ!!
ということを語ってもらいたかったんだと思うのだが……
もちろん次の年からは呼ばれなかった。
ちなみに今は小倉優子が大好きなエロじーさんでもある。
906 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/20(火) 22:17 ID:kmzW3RjL
>904
おじいさん、子供たちの間では人気者になったんじゃないかなw
私も聞いてみたいなあ。
930 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/24(土) 14:25 ID:XbSfg/bI
徴兵逃れのために醤油を飲む、ってのはポピュラーでさんざんガイシュツだが、
尻に牛肉(生のスライス)を挟んでおいて「ぢ」に見せかける、ってのを聞いたことがある。
953 名前:950[sage] 投稿日:04/04/26(月) 14:54 ID:Il7UIxu7 [2/2]
軍人だったほうのじいちゃんは戦時中、満州に行ってて
そこで取れる魚は川の魚なもんで微生物とかやらのせいで
刺身に出来ないとか言うのを現地人と話してたら、
そのおっさんが怒って
「そんなことは無い!刺身にしても旨い!」
と怒鳴ったそうな。
で次の日、部下を使って川の魚を取って、刺身にして
例のおっさんを招待して軍人特有のジェントルメン精神ですすめたら
泣きながら謝ったそうな。
その後はちゃんと普通の料理でもてなしたらしい。
こっちのおじいちゃんは自分が生まれてくるずっと前に死んだから
生きてたらこういう話を沢山聞けただろうな~って時々思う。
867 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/16(金) 00:27 ID:f9zGHZT0
うちのじいちゃんの話。
「オレは満州でカレーと八宝菜と餃子の作り方をおそわって帰ってきたよ」
どうも手先が小器用なのを買われて料理ばっかさせられてたらしい。
それがまた中途半端に上手いもんだからあんまし危険なところにもやらされなかったんだって。
でもねじいちゃん。
私も妹ももう昔通りにはメシ食わないんです。
大皿3枚分もてんぷら(つうかフリッターに近い…)作ったって、食いきれないよ~~!
じいちゃんのカレーも八宝菜も好物なんだけどさ、量多すぎますよホント。
695 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 18:25 ID:2Zq34AGQ
終戦直後、爺さんが満州にいた。
ソ連軍が町にいた成年の日本人男子を大学に集めて捕虜にした。
大学がそのまま収容所になった。
何か所かに移動しつつ労働を続けるうち、
うちの爺さんは仮病を使って病院を兼ねる収容所に移された。
爺さんは症状が軽いということで(仮病だし)、
看護係のような仕事をした。
ある時水を汲みに町に出かけなければならなくなった。
見張のソ連兵はあっさりと収容所の外に出してくれた。
出かけた町で脱出経路や隠れ場所をチェック、
その時は脱出せず収容所に戻った。
その数日後にまた水汲みに出かけることになった。
警備してたソ連兵は顔パスで通してくれた。
その後爺さんは二度と収容所に戻ることはなく、
その結果おれがいる。
696 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 18:32 ID:RDXDPZ++
>>695
ワラタ。
爺様GJ。
.

戦争中だって、笑える話は沢山あったはず。
そしてその中には、戦時中ならではの体験もあったことでしょう。
難しいことはとりあえず抜きにして、祖父・祖母・両親・知り合いの年寄りなどから聞いた
笑える話を聞かせて下さい。
戦時中の笑える話
戦時中の笑える話 その2
戦時中の笑える話 上官を怖がらせた爺さん
戦時中の笑える話 「死ぬときはラムネを飲みながら死にたい」 他
戦時中の笑える話 スパイ判別法あれこれ 他
848 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/13(火) 20:48 ID:lhW3blht
うちのじーさん、満州までかりだされたんだが
軍艦(?)で満州に向かっているとき、所属していた隊の中で
「もしもこの船が攻撃に遭って沈んだらどうするか」
という話になり、
「海に投げ出されると、フカ(=鮫)に食われるかもしれない」
と誰かが言い出したらしい。
すると隊長が、
「フカは自分より大きいものを見たら襲わない、
だから海に投げ出されたときは、ふんどしを長く伸ばして
フカよりも長くなれ!」
と言ったそうだ。
そしてその船は本当に攻撃され、
うちのじーさんはふんどしをほどき、海を漂っているところを
味方の別の軍艦に助けられた。
じーさんは今でも
「海で泳ぐときは長いものを持っておけ」と言う。
もうふんどしの時代じゃないしなぁ……
854 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/04/15(木) 03:56 ID:jky1QjlP
>>848
うちの死んだじいちゃんも同じことを言っていた!<フンドシ
じいちゃんは空母「飛龍」というのにのっていたらしいのだが、
その船がアボーンしたときに恐らくフンドシが活躍したんだと思う。
じいちゃんも海を漂っていたところを味方の船に拾われたらしいが、
ばあちゃんはじいちゃんの部下が「船沈没(だけどじいちゃんは無事)」という知らせを持ってきたとき、
じいちゃんが死んじゃったと勘違いして泣き崩れたらしい。
でも、じいちゃんの晩年には味噌汁の具でケンカをする夫婦だった…
855 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/15(木) 04:20 ID:DiDKVXx6
>>854
おお、ミッドウェーで沈んだ飛竜ですか。よくご無事で。
868 名前:854[] 投稿日:04/04/16(金) 02:51 ID:KKfXkT+x
>>857
ググって見たら、砲撃を受けて被弾⇒火災となったので味方の船の砲撃で葬られたという記述がありました。
なんか、ただ被弾を受けて沈没っていう表記もあったから、ここら辺曖昧なのかな?
だから、じいちゃんはどっかの時点で海に飛び込んだのかと。
ちなみに、死ぬまでじいちゃんフンドシを愛用していたよ。
ていうか、よく生きて帰ってきたなぁ…
869 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/16(金) 10:27 ID:7u3tGeVA
>>854
飛龍は米軍機の攻撃を受けて炎上
↓
総員退艦、放棄決定
↓
味方駆逐艦が魚雷発射(1本命中も沈まず)
↓
そのまま漂流
(実際は連絡が取れなくなっただけで、機関部は無事だった)
↓
結局浸水で沈没
お祖父様は総員退艦の時点で船を離れて助かったんでしょうね。
機関室に取り残されて漂流した船員は、米軍の捕虜になりました。

698 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 21:15 ID:wGlngrBc
競馬雑誌に載っていたんだが、有名な血統評論家(故人)は
中国(満州か?)に駐留していたとき、ロシア人少女にひとめぼれ。
その子と仲良くなろうとして奮起してロシア語マスターした。
しかし恋が実る前に敗戦し、なまじロシア語が出来るためにスパイと疑われて
散々な目にあったそうだが、後には通訳として重宝がられた。
というのがあった。
699 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 22:15 ID:moTlguOQ
ロシア人の少女はこの世のものとは思えないぐらい綺麗だが、
20歳すぎると水風船みたいになるからな。
700 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 22:29 ID:QLvD5HNB
>699
つきたての餅を重ねたようでもある。
709 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 16:00 ID:wtRFLysb [1/2]
うちのお婆ちゃんは諸事情あって、戦時中一人で両親を養ってました
とにかく食べ物がなくて今でも電車で30分はかかる場所に
畑を作って毎週末徒歩で通ってもの凄く美味しくないカボチャなどを作ってしのいでいたらしい
終戦を迎えてGHQがやってきて、食べ物の配給があるというので
喜んで貰ってきたのは、一斗缶ぐらいある大きな缶詰
ワクワクしながら開けてみたら中には大量のシロップ漬けのパイナップル・・・
「一度には食べきれないし、おかずにもなりゃしないし、どうしろっての!!!」
と怒ってましたが私はワラタ
712 名前:大鉈くわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 17:30 ID:55sACAP5
>>709
酢豚があったのに...
713 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 17:34 ID:xT9A2HMJ
>>712
お前頭良いな!
714 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 17:42 ID:wtRFLysb [2/2]
>>712
パイナップルばっかりの酢豚、辛いっす(w
721 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 19:53 ID:jFl1rSyv
戦時中の話じゃなくて終戦直後の話なんだけど、
血の気が多かったうちの祖父は、終戦で満州から家族と一緒に、曾祖父の家に帰ってきた。
帰ってきた直後は毎日、「アメリカ人みな殺しにしてやる!」と
日本刀をぶんぶん振り回していたが、1年後には
ご近所さんを呼んで毎週ゴーゴーパーティを開いて踊りまくっていたそうだ。
その祖父は定年になってから通信で大学を卒業し
得意になって中学生の私にカタカナ発音で英語を教えようとした。
「おじいちゃんの後に読め。アーイ ドント ノー はいっ」
もっと戦時中の話を聞いとけば良かった
722 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 21:28 ID:pXntTbr2
もの凄く柔軟性と適応能力に秀でた爺様だと思います
日本が共産化してたら「スターリン∩( ・ω・)∩ ばんじゃーい」とか言ってそう
今もご存命だったら2chにも手を出していたんじゃないかと
723 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/29(月) 23:34 ID:701RH491 [2/2]
>>721
自分がジジイになったらそういう人になりたいよな。 何時までも向上心があるというか。
750 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01(木) 08:23 ID:t0vqzekx
東京が燃えるのが、遠く離れた群馬からも見えたって聞いたことがある。
ウチの祖父は東京とは知らずホースとポンプをリヤカーに乗せて
歩いて消火に行ったらしい。
ただ、ボケてて空襲なんだか関東大震災なんだか、いまいちハッキリしない・・・。
752 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01(木) 15:59 ID:O/s8wxbA
>750
「関東大震災(1923)」
「東京大空襲(1945)」
幾ら老いたとは言え、22年の差は家族のほうで解かるだろ。
760 名前:750[sage] 投稿日:04/04/02(金) 08:27 ID:gGEDMyTb
昨日、仕事が終わってから実家に電話して聞いてみたところ
関東大震災と東京大空襲の問題が解決しました。
正しい情報はひいおじいさんが関東大震災へ出動したそうです。それを祖父から聞いたため、俺が勘違いをして。。。
おじいちゃん、ボケてるなんて言ってごめん・・・。俺が間違ってた。
769 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/03(土) 23:24 ID:GTEFP02l
>750
関東大震災なら、亡くなったうちのじいちゃんも
群馬の山の上から、東京が燃えるのを見たって言ってた。
地震が来たときに大黒柱にしがみついてたら
ぐるぐる回ったって言ってたのは、流石に誇張だろうと思ってたけど
もしかしたら、ほんとに回ったのかもなあ
751 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/01(木) 10:31 ID:d78GLQZ4
戦後の話になるけど。
戦争が終わって祖父が戦地(か派遣地か知らない)から帰ってくる時、
祖母は家の前でずっと待ってたわけですよ。駅の方角を見て。
んでとっくに着いてもいいはずの時間になっても帰ってこない。
不安でずっと待っていたら
家の裏の山から降りてきたそうです。理由は「ボロボロの汚い姿を人に見られたくなかった」と。
という、とてもオシャレな祖父でした。7年前に亡くなるまでずっとオシャレでした。
一昨日が命日でした。
あと、敗戦後すぐ、進駐軍がやってきたとき、民家にある酒を全部出せと言われてて、
醤油の一升瓶を酒と疑われて、説明しても言葉も通じないので祖母は湯飲みについで米兵に出した。
米兵のその時の「うえっ」という顔がおかしくて忘れられない、と大笑いで話してくれました。
祖母の話は戦中戦後の話なのにすごく面白かったです。
773 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/04/04(日) 17:26 ID:zFs7sgn/
戦時中、竹やり訓練っていうのがあったんだけど
うちの村ではその竹は各自で用意しなければいけなかったらしい。
で、俺のおばあちゃんは竹取ってくるのが面倒くさいから訓練をさぼってたらしい。
しかし、さぼりっぱなしだと近所から文句言われるので
ある日夜明け前に山に竹を取りに行ったらしい。
家族とか親戚の分の竹も背負って帰ってきたら近所の人にこう言われたらしい。
「あんた、今日、日本負けたで。」
その日1945年8月15日。
それを聞いておばあちゃんは
「こんな重たいモン背負ってられるか!!」
と、その場に投げ捨てて帰ったそうな・・・
775 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/04(日) 19:17 ID:ZQ0l12mf
戦争後になるが、満州で終戦を迎えソ連の捕虜になった爺さん。
初めのウチはまじめに働いていたが、そのうちソ連兵は2桁の計算が出来ないことが判明。
そして工事に必要な資材を水増し請求し、浮いた資材は食料品と交換。
それでも見積もり以下の資材だったらしい。
「勉強しないと露助のようなバカになるぞ」が口癖だった。
778 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/05(月) 01:20 ID:UN+Ghr4R
何かの本に書いてあったシベリア抑留日本人のロシア人の話としては、
1、時計のねじを回すことを知らないため、腕に沢山奪った時計を付けまくり、止まった物から捨てる。
2、「シベリアには太陽が一つしか昇らないが、日本は二つ昇るから暖かい」と言われ信じて「日本に行きたい」と言う。
3、大まかなロシアの地図を書いて「今自分たちはどこにいるのか」と聞くと、
「ロシアで地図を書けるのは大学教授だけ。おまえも教授か」と言われた。
なんてのがあった。
因みに、80年代のソ連ではKGBのメンバーでも腕時計を持ってるものは少なかったとか。
779 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/05(月) 07:55 ID:GYnLhFND
70年代だかに亡命してきたミグ戦闘機を西側が
「どんな最新装備を持ってるのか」と調査してみたら
未だに真空管使っててズッコケた、ってな話あったよね。
780 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/05(月) 09:23 ID:dGXmvGzl [1/2]
>>778
今まで特にロシアなんて考えたことなかったけど、その話を聞いたら、
なんかロシアが少し好きになった。。。
781 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/05(月) 10:04 ID:N4S36iUw
>>780
俺も。なんだか可愛いな、
835 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/09(金) 23:50 ID:TGAWAx0A
去年他界したうちの爺様、家具屋で修行してたから、隊の皆が訓練してるときも
上官の命令ですずり箱とか棚とか作って堂々とサボれるわ、上官には気に入られるわ、
手に職つけといてよかったと申しておりました。
海軍の航空隊整備兵曹として台湾にいたときは、バナナやら砂糖やら、たんまりあって
太ってしまったとのこと。
ドラム缶風呂沸かして皆で入ってた時、敵機の機銃掃射にびびって
裸で逃げ回ったこともあったそうな。
そんな爺様、復員して木工業をはじめたのだが、工場の機械の事あんまり詳しくなかったなあ。
軽トラもシリンダー焼きつかせたらしいし。
でも脳卒中起こしてほぼ寝たきり&軽度の脳障害になってても、テレビで戦時中の飛行機見たら
「あ、あ、あれ直した。栄エンジン…あのコードは…電気…」とか言いながら目を輝かせてたよ。
そこはさすが元整備兵だとオモタ。
837 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/10(土) 18:12 ID:Zy3my5ez
>835
ウチのじいちゃんと少し似てますね。
小さい頃から機械いじり好きだったから、「軍に行けば戦車も軍艦もいじり放題!」と志願入隊。
何故か整備兵にはなれなかったらしいけど、とりあえず戦車部隊には入れたもんだから
ヒマを見ては戦車いじりたおしてたってさ。
今でもボルトの位置とか一つ残らず覚えてるらしい。靖国に飾ってある当時の戦車、
5分もあればバラせるぞって豪語してた。(まぁこれは話半分としても…)
一体何をしに戦地に行ってたのかと小一時(ry
まぁ結局はその時手にしたスキルが役立って?終戦後は利き腕の電気工になって一財産築いたよ。
846 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/11(日) 14:04 ID:5Ar4BFVW
戦争が激しくなって、漏れのじーちゃんも出征することになった。
来る時が来たか・・・・・と周囲は覚悟を決め、
いよいよじーちゃんを送り出そうかという頃のこと。
じーちゃんが参加する連隊が敵地に赴くために乗っていくはずだった船が、
どういう事情だか忘れたが、なんと沈没してしまったのだそうだ。
そんなわけで、じーちゃんの出征は延期が決定。
家族共々拍子抜けしている内に、戦争も終了。
結局、じーちゃんは戦争に行かなかった。
まあ、戦争なんて行かない方が当人にとって幸せだったかもしれんが、
何十年たっても近所の人にこの話をされるというので、相当迷惑がってた。
878 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:04/04/17(土) 16:20 ID:pFbp4KJk
母が6歳くらいの頃、戦争真っ只中。防空壕に逃げ込んだが、至近距離に焼夷弾が落ちた。
直撃じゃなかったので中の人は無事。しかし防空壕のドアが吹っ飛び、
母の祖母の眼鏡と入れ歯が吹っ飛んだそうな。
非常時の怖さより、そんなこと覚えている母って・・・
899 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/18(日) 14:47 ID:+apVAAdf
スレ違いだが言語ネタで1つ。
ある海軍武官がロシアの日本大使館に派遣されていた。
そこで主催されたパーティに部下と共に出席したのだが、
途中で部下とはぐれてしまう。
やむを得ず彼は部下の名前を大声で叫んだ。
「海老原少尉!海老原少尉!」
が、どうも周りのロシア人達の様子がおかしい。
ゴホン、とわざとらしく咳をする紳士、顔を赤らめる御婦人。
それもそのはず。
エビとはロシア語で女性器を意味し、
ハラショーはご存じの通り素晴らしいという意味である。
つまり彼は「マ○コ素晴らしい!マ○コ素晴らしい!」と叫んでいたのだ。
909 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/21(水) 10:56 ID:zE42YjjH
>>899
そういやロシア人ボクサーのユーリ海老原も、
リングネームをユーリ・アルバチャコフに改名してたな。
911 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/21(水) 18:05 ID:XkYW4UWW
そういえば教授が前に「カルピス」なんて英語圏の人間は誰も飲まない。
向こうの人には「カウピス(牛のしょんべん)」って聞こえるからって言ってたよ。
912 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/21(水) 19:36 ID:xWAtDJQh
ポカリスウェットも、「汗」が入ってるみたいで評判が悪いのは有名な話
904 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/20(火) 20:59 ID:zgWdEvxO
じーさんの家に、戦争に行ってたときに、仲間と撮った写真が飾ってある。
俺のじーさんだけ、左足に包帯を巻いている。
無邪気な子供だった俺は、じーさんに
「うわっこの包帯どうしたの? 敵にやられたの?」
と聞くと、じーさんは
「いや、これは水虫。あっちはいい薬がなくてのー」
と答えた。
こんなじーさんだが、近所の小学校から先生がやってきて
戦争の話をしてくださいと言われて出かけたことがある。
大蛇を食った話とか、自分のミスで所属してる小隊が道に迷い
そのおかげで助かったことなど、話し方一つでシリアスになのに、
おもしろおかしく話したばかりに
子供達を爆笑の渦に巻き込んでしまったらしい。
先生方は、真面目に戦争は(・A・)イクナイ!!
ということを語ってもらいたかったんだと思うのだが……
もちろん次の年からは呼ばれなかった。
ちなみに今は小倉優子が大好きなエロじーさんでもある。
906 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/20(火) 22:17 ID:kmzW3RjL
>904
おじいさん、子供たちの間では人気者になったんじゃないかなw
私も聞いてみたいなあ。
930 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/24(土) 14:25 ID:XbSfg/bI
徴兵逃れのために醤油を飲む、ってのはポピュラーでさんざんガイシュツだが、
尻に牛肉(生のスライス)を挟んでおいて「ぢ」に見せかける、ってのを聞いたことがある。
953 名前:950[sage] 投稿日:04/04/26(月) 14:54 ID:Il7UIxu7 [2/2]
軍人だったほうのじいちゃんは戦時中、満州に行ってて
そこで取れる魚は川の魚なもんで微生物とかやらのせいで
刺身に出来ないとか言うのを現地人と話してたら、
そのおっさんが怒って
「そんなことは無い!刺身にしても旨い!」
と怒鳴ったそうな。
で次の日、部下を使って川の魚を取って、刺身にして
例のおっさんを招待して軍人特有のジェントルメン精神ですすめたら
泣きながら謝ったそうな。
その後はちゃんと普通の料理でもてなしたらしい。
こっちのおじいちゃんは自分が生まれてくるずっと前に死んだから
生きてたらこういう話を沢山聞けただろうな~って時々思う。
867 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/04/16(金) 00:27 ID:f9zGHZT0
うちのじいちゃんの話。
「オレは満州でカレーと八宝菜と餃子の作り方をおそわって帰ってきたよ」
どうも手先が小器用なのを買われて料理ばっかさせられてたらしい。
それがまた中途半端に上手いもんだからあんまし危険なところにもやらされなかったんだって。
でもねじいちゃん。
私も妹ももう昔通りにはメシ食わないんです。
大皿3枚分もてんぷら(つうかフリッターに近い…)作ったって、食いきれないよ~~!
じいちゃんのカレーも八宝菜も好物なんだけどさ、量多すぎますよホント。
695 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 18:25 ID:2Zq34AGQ
終戦直後、爺さんが満州にいた。
ソ連軍が町にいた成年の日本人男子を大学に集めて捕虜にした。
大学がそのまま収容所になった。
何か所かに移動しつつ労働を続けるうち、
うちの爺さんは仮病を使って病院を兼ねる収容所に移された。
爺さんは症状が軽いということで(仮病だし)、
看護係のような仕事をした。
ある時水を汲みに町に出かけなければならなくなった。
見張のソ連兵はあっさりと収容所の外に出してくれた。
出かけた町で脱出経路や隠れ場所をチェック、
その時は脱出せず収容所に戻った。
その数日後にまた水汲みに出かけることになった。
警備してたソ連兵は顔パスで通してくれた。
その後爺さんは二度と収容所に戻ることはなく、
その結果おれがいる。
696 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/03/28(日) 18:32 ID:RDXDPZ++
>>695
ワラタ。
爺様GJ。
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あと、南方戦線での水虫は危険。下手すると足切断も有り得た。